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オシリペンペンズ「ミクロで行こう」(MCRN009)※品切

販売価格 1,905円(税込2,096円)
型番 MCRN009

レーベル:マカロニ
品番:MCRN-009
JAN:4582237815177
フォーマット:CD
2008.5.05発売
※メーカー品切れ入荷未定

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01. 故郷(ふるさと) 
02. 時は来た 
03. ふとももコミュニケーション
04. サイケにやりすぎ無し
05. 引き止め男と去る女
06. ラブレターフロムくっさいブス
07. 阿片
08. ビートル!
09. このケツ
10. 名付け親
11. モタコの恋愛必勝法
12. 都会
13. 這う
14. 嗚呼!地獄



●『隣のオシリペンペンズ』 無知野二郎
 大阪にはアジアで一番ヘンテコな場所と言われているライブハウスがある。「難波BEARS」そこでは日々アンダーグラウンドミュージックが産声をあげている。ソニック・ユースのメンバーさえも来日した際は必ず寄ると言われ、海外からの来客も多い。そのベアーズから新しい風が吹いた。今回紹介するオシリペンペンズである。

 そんな彼らは関西ではベアーズ以外のライブハウスに出られない時期があった。出入り禁止、多額の弁償、借金などが彼らを取り巻いていた。かく言う私も数々の噂を聞きつけ怖いもの見たさに彼らのライブを観にいった一人なのだが・・・はじめて見たオシリペンペンズ。衝撃。私は身体が動けない状態になった。言うならそれは、「暗黒大魔王の降臨」 誤解があってはならないので追加で記すがその印象は「恐怖オンリー」というわけではない。むしろムーディーである。実際彼らと話していると男である私でさえも彼らのその瞳に吸い込まれてしまいそうな瞬間が何度もある。

 「ジャッキー・チェンは好きですか?」この質問がボーカルモタコの口から出たときは注意してほしい。その答え次第で瞳に吸い込まれるどころか、酷く下げずんだ目に変わることもありえる。彼は熱烈な功夫映画愛好家でもあるのだ。彼のことをもっと理解するために彼が最近始めたブログを参考に話を進める。

「いしいひさいち絶対主義」などという発言からあるように彼は漫金超、チャンネルゼロから受け継がれる関西の特異性を理解し、そしてそれを愛していることがうかがえる。何が彼をそうさせたのか。

 それとは別に「俺には福本豊(阪急)のDNAが含まれている」という発言も彼の方向性を示す一つだろう。何が彼をそうさせたのか。私は彼こそが二代目猟奇王であると信じたい。「馬小屋で産まれ、豚小屋で育った。」という書き込みがあるがこれは彼の虚言であろう。漫画家を父に持ち、書道家を母に持つ。それでは彼のリスペクトする漫画は何か?「マカロニほうれん荘」なるほど、そういえば彼の虚言癖はきんどーちゃんゆずりなのかと妙に納得してしまう。

 続いてギター担当の中林キララについて書きたい…書きたいが彼には謎なところが多い。なぜなら本人の口癖が「僕は謎ですよ」なのである。聞かれたら答える、しかし最後はその言葉で締める。本人がそういうのならば我々もそう認識したほうがいい。なぜ彼がギタリスト100選の最後のページに載っているのかも謎である。モタコはキララの出すギターの音を称して
「うひょひょサウンド」と言っている。「うひょひょ」とは前出の「マカロニほうれん荘」のきんどーちゃ んの笑い方であるが、そう言われればキララのギターも「うひょひょ」
と聴こえてくるから
不思議なものである。
 
 次にドラマー迎祐輔について書こう。「ムカイ」ではない、「ムカエ」だ。「叩くか、叩かないか、それが問題だ」と悩みだし二時間のスタジオで一度もドラムを叩くことなく終了することもある。ある日ひょんな偶然で私は彼とスタジオセッションをするチャンスを与えられた。しかしその日のスタジオも彼は叩かずに終わった。一言「叩かなくても鳴ってっばい」そんな彼のオリジナルなドラミングは録音物では表現しえないであろうと私は思っていた。しかし今回のアルバムを聴いて私はその考えを改めた。彼が確かにそこに居る。
 
 そして最後に新メンバーのパッチ石原について紹介しなければならない。彼のパートはPAとである。最近のペンペンズのライブに感じる「何かが起こりそうな空気」は彼の仕業だろうか。「彼が居ないと演奏は出来ない、やったとしてもそれは不純物だ」と他の三人は言う。
 
 そんな彼らが新しいアルバムを出す。私も一枚サンプルをもらって聴いた。何かが変わる。これは必然だ。偶然にその必然に出会え、と私は言いたい。あとは彼らの音にすべてを任せよう。それでは最後にモタコのブログからの引用で筆を置くとしよう。

「反対もまた真なり ポンチ by石井モタコ」


●迎祐輔(オシリペンペンズ)
 私が学生の頃、身のまわりでレイブやヒッピーなどの"60年代"に憧れをもつような集まりがあった。「まだマジックマッシュルームも違法ではなかった」60年代というものへの私自身の憧れ、そして感覚の拡大/認識の拡大という言葉にも興味があったので、そういった場所に顔を出したりしていた。しかし、そこにあったのはただそういう雰囲気の模索、いわば共通の趣味をもった者達の集まりでしかなかった。感覚の拡大/認識の拡大とは正反対のものだった。そこに集う人たちは安心や楽しみを得ているように見えた。そこで私は宗教にふれた時に感じるような恐怖を覚えた。その時の恐怖、不安が創作の一つの原動力なっていると言える。
そして、その恐怖の中で今、人は人それぞれ情報の選択肢がありすぎて、自分で意識せずとも現実を設定していると感じた。そう考えると偏った情報の場所/現実が何者かに設定されている状況を恐れざるをえない、それは宗教やネット上での集まり、音楽でいう「シーン」などなどでだ。そして「今」を伝えているものについてはより選択することに慎重になってしまう。情報の選択を怠ると自分が何なのかわからなくなるからだ。そういった状況が続いている今、オシリペンペンズはそれらすべての人たちの意思からなるエネルギーで出来上がっている情報に立ち向かう。我々は人に使われる情報の一つであってはならない。 そして、作り手の姿勢として本物の価値はファンタジーの中でしか存在しえないと思っている。また現実に対して現実的に応えるのはバカげていると思っている。今一度、感覚の拡大、認識の拡大を目的にオシリペンペンズは動く。



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