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レーベル:compare notes(map)
品番:cn-0018
JAN:4582237815894
フォーマット:CD
2008.8.23発売
1. フェイヒーの午後
2. くずれる朝と
3. 番人は眠ったままでよい
4. 白い庭と散歩
5. 番人は起きたままでもよい
6. 雨にかまけて
7. みどりにあるくうた
8. ひげうさぎの会食卓
9. うつつ、まだのぼる
10. 目が覚めるすぐ前にみたような
11. しかくいよるに(SAYA remix)
透明感と野暮ったさが腰つき合わす、鼻歌まじりのポップ・デュオfrom京都
深く、そしてとてつもなく軽やかに、心躍らせる
うら若き女性が2人、そこに並んでいる。理由はしらぬけれど、なにやらニコニコ、いや、はっきりと言ってしまえばエヘエヘと緩く笑っている。面倒なことをほっておいて、その表情を見るだけでも、何か倖せな気分にさせる、そんな女性が2人、そこに並んでいる。それだけで、どんなに嬉しいことだろうか!
今では、片方の女性の手にはヴァイオリンが、そして片方の女性の手にはアコースティック・ギターが握られていたりするのだけれど、彼女たちの出会いは、そんな「歌ったり奏でたり」することではなかった、らしい。絵を描いたり、ストーリーを紡いだり、そんな「何かを作りたい」という気持ちが、彼女たち2人を出会わせた、らしい。そして、生活を共にすることにより、あえて言葉にせずとも「何か」を一緒に作り出せるようになった彼女たち。それはとても自然なことだったよう。
んで、気付くと、「あ、ワタシ、ヴァイオリン弾ける」、そして、「えっと、私は歌歌ってたんよ」という、2人の出会い以前に当たり前のように楽しんでいたことを思い出すことになる。片手にヴァイオリンを持ち男前な動きを見せるのはイガキアキコ、そして片手にギターを持ち、鼻歌のようなメロディを紡いでいるのが、にしもとひろこ、今を遡ること6年ほど前のこと。それが<たゆたう>のふりだし。ゴールや上がりがどこにあるのか分からぬまま。
もちろんそこまでは、よくある話。ただ、そのニコニコ、エヘエヘと笑っている2人が他と異なっていたのは、彼女たちが一度耳にしたらなかなか離れることのない歌声を持っていた、ということ。10代のころから歌っていたにしもとのちょいとチャイルディッシュで奔放な歌声に、特別な倍音を持ったイガキの声がハーモナイズされるとき、1人で奏でるのとはまったくことなる<たゆたう>さんの歌声がそこに現れたのだ。もちろん、その妙なる歌声の圧倒的な力に彼女たちが気付いていたかどうかは不明、だが・・・・・・。
2005年ごろより、京都(おっと、書き忘れていたが、彼女たちは京都で活動しています!)のカフェやライヴハウスをベースに、ゆっくりとゆっくりと、その特別な歌を聴かせ始めた彼女たち。そこで手に入れたもの−そのライヴを見れば一目瞭然なのだけれど、彼女たちにはまったくもって迷いがない。自分たちが歌い奏でることに対する嘘や虚栄心が一切ない、ということ。もちろん、2人だけで奏でられるその音は、隙間だらけで、ポップ・ミュージックの範疇で鑑みるに、足りないものがたくさんあるのかもしれない。ただ、ヴァイオリンのボウイングのひとつ、歌い出しの最初のブレスひとつが、観客5人の小さな場所だろうが、1,000人のステージだろうが関係なく、まったく揺らぎがないことに何よりも驚かされるのだ。また、ヴァイオリンとギターだけでなく、数々のオモチャ楽器が<たゆたう>さんの歌を時に茶化しつつ、一所懸命ささえているのも素晴らしい。穏やかなれど、時にコントロール不能なまでに激しく、感情のままに突っ走りながらも、できすぎなくらい優しく包み込む。だからこそ、京都の街で、手練れのオッサンから若き婦女子までを彼女たちは虜にしてきたのだと思う。
そして、ついに届けられたファースト・アルバムは、<たゆたう>が愛し続ける京都の街をちょいと離れ、東京で録音が試みられた。その理由は簡単。そこに録ってほしい人がいた、ということ。1人は世界が認めたアヴァン・ポップ界の雄テニスコーツの核さや。そしてもう1人は、日本よりも東欧インプロシーンで高い評価を得ているHOSEの宇波拓。この優れた音楽家たちを<ドキュメントとして自らの音を録ってもらう>ために起用。スタジオを離れ、東京の民家や閉店後の定食屋、木が鬱蒼と茂る森で、彼女たちのレコーディングは執り行われた。その結果、音楽家ならではのマナーと地場が持つアトモスフィアによって、ライヴで彼女たちが聴かせる怖いまでの瑞々しさと奔放さ、そして演奏家としての確かな技倆をフリーズドライすることに成功した。
また、このアルバムにはブックレットとして、16ページにわたる小さな絵本が付属している。それは、<たゆたう>が大好きな歌を歌うことと絵を描くこと(おっと、またまた書き忘れていたが、彼女たちは絵描き/デザイナーを仕事としています!)、そしてストーリーを紡ぐこと、そのすべてをパッケージングした作品として成立しているのだ。その仕上がりは現物を見てのお楽しみだが、このちょっとエヘエヘと笑っている彼女たちが何を求め、何をしようとしているのか、その断片だけはきっと分かってもらえるのではないか、と信じている。
そのタイトルや「いちにちのながさを、はなうたできめる。」−おい、大の大人がそんなことで決めていいのか、と思いつつ、まさに、これは、そんな感じ。
品番:cn-0018
JAN:4582237815894
フォーマット:CD
2008.8.23発売
収録曲
1. フェイヒーの午後
2. くずれる朝と
3. 番人は眠ったままでよい
4. 白い庭と散歩
5. 番人は起きたままでもよい
6. 雨にかまけて
7. みどりにあるくうた
8. ひげうさぎの会食卓
9. うつつ、まだのぼる
10. 目が覚めるすぐ前にみたような
11. しかくいよるに(SAYA remix)
作品紹介
透明感と野暮ったさが腰つき合わす、鼻歌まじりのポップ・デュオfrom京都
深く、そしてとてつもなく軽やかに、心躍らせる
うら若き女性が2人、そこに並んでいる。理由はしらぬけれど、なにやらニコニコ、いや、はっきりと言ってしまえばエヘエヘと緩く笑っている。面倒なことをほっておいて、その表情を見るだけでも、何か倖せな気分にさせる、そんな女性が2人、そこに並んでいる。それだけで、どんなに嬉しいことだろうか!
今では、片方の女性の手にはヴァイオリンが、そして片方の女性の手にはアコースティック・ギターが握られていたりするのだけれど、彼女たちの出会いは、そんな「歌ったり奏でたり」することではなかった、らしい。絵を描いたり、ストーリーを紡いだり、そんな「何かを作りたい」という気持ちが、彼女たち2人を出会わせた、らしい。そして、生活を共にすることにより、あえて言葉にせずとも「何か」を一緒に作り出せるようになった彼女たち。それはとても自然なことだったよう。
んで、気付くと、「あ、ワタシ、ヴァイオリン弾ける」、そして、「えっと、私は歌歌ってたんよ」という、2人の出会い以前に当たり前のように楽しんでいたことを思い出すことになる。片手にヴァイオリンを持ち男前な動きを見せるのはイガキアキコ、そして片手にギターを持ち、鼻歌のようなメロディを紡いでいるのが、にしもとひろこ、今を遡ること6年ほど前のこと。それが<たゆたう>のふりだし。ゴールや上がりがどこにあるのか分からぬまま。
もちろんそこまでは、よくある話。ただ、そのニコニコ、エヘエヘと笑っている2人が他と異なっていたのは、彼女たちが一度耳にしたらなかなか離れることのない歌声を持っていた、ということ。10代のころから歌っていたにしもとのちょいとチャイルディッシュで奔放な歌声に、特別な倍音を持ったイガキの声がハーモナイズされるとき、1人で奏でるのとはまったくことなる<たゆたう>さんの歌声がそこに現れたのだ。もちろん、その妙なる歌声の圧倒的な力に彼女たちが気付いていたかどうかは不明、だが・・・・・・。
2005年ごろより、京都(おっと、書き忘れていたが、彼女たちは京都で活動しています!)のカフェやライヴハウスをベースに、ゆっくりとゆっくりと、その特別な歌を聴かせ始めた彼女たち。そこで手に入れたもの−そのライヴを見れば一目瞭然なのだけれど、彼女たちにはまったくもって迷いがない。自分たちが歌い奏でることに対する嘘や虚栄心が一切ない、ということ。もちろん、2人だけで奏でられるその音は、隙間だらけで、ポップ・ミュージックの範疇で鑑みるに、足りないものがたくさんあるのかもしれない。ただ、ヴァイオリンのボウイングのひとつ、歌い出しの最初のブレスひとつが、観客5人の小さな場所だろうが、1,000人のステージだろうが関係なく、まったく揺らぎがないことに何よりも驚かされるのだ。また、ヴァイオリンとギターだけでなく、数々のオモチャ楽器が<たゆたう>さんの歌を時に茶化しつつ、一所懸命ささえているのも素晴らしい。穏やかなれど、時にコントロール不能なまでに激しく、感情のままに突っ走りながらも、できすぎなくらい優しく包み込む。だからこそ、京都の街で、手練れのオッサンから若き婦女子までを彼女たちは虜にしてきたのだと思う。
そして、ついに届けられたファースト・アルバムは、<たゆたう>が愛し続ける京都の街をちょいと離れ、東京で録音が試みられた。その理由は簡単。そこに録ってほしい人がいた、ということ。1人は世界が認めたアヴァン・ポップ界の雄テニスコーツの核さや。そしてもう1人は、日本よりも東欧インプロシーンで高い評価を得ているHOSEの宇波拓。この優れた音楽家たちを<ドキュメントとして自らの音を録ってもらう>ために起用。スタジオを離れ、東京の民家や閉店後の定食屋、木が鬱蒼と茂る森で、彼女たちのレコーディングは執り行われた。その結果、音楽家ならではのマナーと地場が持つアトモスフィアによって、ライヴで彼女たちが聴かせる怖いまでの瑞々しさと奔放さ、そして演奏家としての確かな技倆をフリーズドライすることに成功した。
また、このアルバムにはブックレットとして、16ページにわたる小さな絵本が付属している。それは、<たゆたう>が大好きな歌を歌うことと絵を描くこと(おっと、またまた書き忘れていたが、彼女たちは絵描き/デザイナーを仕事としています!)、そしてストーリーを紡ぐこと、そのすべてをパッケージングした作品として成立しているのだ。その仕上がりは現物を見てのお楽しみだが、このちょっとエヘエヘと笑っている彼女たちが何を求め、何をしようとしているのか、その断片だけはきっと分かってもらえるのではないか、と信じている。
そのタイトルや「いちにちのながさを、はなうたできめる。」−おい、大の大人がそんなことで決めていいのか、と思いつつ、まさに、これは、そんな感じ。
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