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ブリッジ限定・特別企画 第三弾
<鈴木惣一朗・2019年 『ジャンプ・フォー・ジョイ』について語る>



※アルバム『ジャンプ・フォー・ジョイ』は、ダン・ヒックスのアルバムのように楽しいアルバムを目指しました。

『ジャンプ・フォージョイ』は『マウンテン・バラッド』リリースからかなり時間が経っていますね。最初聴いた時、ポップだけど、つかみどころが無くて混乱しました。

-リリースまで時間が経ってしまったのは、デイジーワールドが所属するメーカーが変わってしまったため。実はデイジーがカッティング・エッジ・レーベルに移る前に、ヴァージン・グループ傘下のV2レコード(以下V2)に移る話があった。当時のV2にはハイ・ラマズがいたりして「V2にいったらバッチリなんじゃないか」と思ったんだけど、その後、ライセンス契約をしていたソニー・サイドとの折り合いがつかなかった。『ジャンプ・フォー・ジョイ』のマスター音源は、『マウンテン・バラッド』をリリースした後すぐに作って完成していたんだ。

アメリカ南部のイベント「サウス・バイ・サウスウエスト」に「ノアルイズ・マーロン・タイツ(以下ノアルイ)」で出演した時(2001年)、デヴィット・バーン主宰の「ルアカ・ボップ」レーベルのスタッフも来ていて紹介され『ジャンプ・フォー・ジョイ』のプレゼンをした。「新作はすでに出来ているから、ルアカ・ボップから出してくれないか」と頭を下げたわけ。実現はしなかったけど、その間、20世紀から21世紀にまたいでしまって、何て言ったらいいのかな・・僕の世代で言うところの「鉄腕アトム」の時代から「ブレードランナー」の時代へ〜近未来的「ユートピア」から「ディストピア」に空気が変わってしまった。『ジャンプ・フォー・ジョイ』は、20世紀中に出したかったんだけど「もはや、どうでもいいや」という気持ちになっていた。音楽的に色んな要素が入っているのは、画期的なグループ/ノアルイズに出会ったり、20世紀と21世紀の両方の音楽要素が入っちゃってるから。それだけ、当時の情報量は多かったということ。その時々の様子は『モンドくん日記』(2001年アスペクト刊)に全て書かれている。当時は、ぽつぽつプロデュースの仕事があったり『FUTARI』というコラボ・シリーズをはじめたり、再発もののコンピ・アルバムも含めて、年間でアルバム5〜6枚を作るのは当たり前だった。そういう過度な状態が、アルバム『ジャンプ・フォー・ジョイ』には反映されてると思う。

こんなこともあった。『マウンテン・バラッド」』を出した後「いいアルバムが出来たなぁ」と思っていたら、音楽雑誌「レコード・コレクターズ」のレビューで「良くできているけど、鈴木の音楽にはいつも箱庭的閉鎖感がある」と書かれてしまった。僕は「なるほど、その通りだ!」と思った。それまでビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』や、ハイ・ラマズの『ハワイ』、ヴァン・ダイク・パークスの『ソング・サイクル』とか箱庭的なアルバムが好きだったけど、『ジャンプ・フォー・ジョイ』では、そこからどうやって脱却するかと悩み、あがき始める。だから、自分がもっと<媒介>みたいにならないかな、と思っていた。自分というものを通して、あらゆる音楽が<入って出て行く>という感覚。自分の刻印なんて少しでいいという諦め。「さて、そういう人がアルバム作りするとどうなるか」というと、こうなったわけです。

おもちゃ箱的楽しさもあると思います。お気に入りの曲はありますか?

-1曲目の「アレグリア・ボリクア・シンフォニー」かな。ノアルイズのリーダーの阿部くんが見つけてきた曲で、ノアルイズでも何度か演奏してた。その時、僕は「大きな編成でシンフォニーにしたら、凄く面白くなるんじゃないか」と感じていた。それでスタジオにノアルイズを呼んで、ベーシック・トラックを録り、その上にどんどん音を重ねてダビングしていった。イメージは<ヴァン・ダイクやジェフ・マルダーのように‥‥>紙に書いて、スタジオの壁に貼った。完成した時には、かつてのエヴリシング・プレイの『ポッシュ』のことを思い出していた。『ジャンプ・フォー・ジョイ』の始まり方は『ポッシュ』の始まり方と同じだったから。『ポッシュ』を作っていたのは、ワールド・ミュージックが流行っていた時期で、80年代の強い閉塞感もあった。そのため、自分でも「『ポッシュ』が駄目ならキャリアは終わる」と思っていた。だから、ヴァン・ダイク・パークスの『ジャンプ』のように、1曲目からエネルギーを爆発させた。『ジャンプ・フォー・ジョイ』が、取りとめの無いアルバムなのは「アレグリア・・」が出来た時に『ポッシュ』のように満足してしまったからだと思う。残りの曲は<もはや混乱でもいい>じゃないかと。インストゥルメンタルの音楽は歌詞があるわけじゃないから(聴き手に対して)具体的なメッセージは無い。そこには、音楽のエネルギーしか無いんだよね。自分のエネルギーを音響に封じ込める作業〜それが「アレグリア・・」で完璧に出来たと思っていた。

『ジャンプ・フォー・ジョイ』には、別のタイトルが2つあった。『ゴスペル・トレイン」』(福音列車)もしくは『アメイジング・グレイス』。それぞれに理由はあるんだけど、結局『ジャンプ・フォー・ジョイ』にしたのは、いわゆる「ホップ!ステップ!ジャンプ!」の「ジャンプ!」の気持ちを込めた。当時の音楽シーンに凄く閉塞感を感じていたので「ジャンプ!」という気持ちがあったんだと思う。

<制作途中の音源は誰にも聴かせない>それは今でも同じ。でも、その頃はイラストレーターの菅野(カズシゲ)くんと出会って、お互いロバート・クラムが好きなので頻繁に話していた。そこから「アルバムに壮大な漫画を入れよう」という流れ‥‥渋谷のカフェで何度も打ち合わせを重ねた。この漫画に込められたメッセージは大きいな(笑)。現物を手にしてもらわないと分からないけど、ハリー・ニルソン、ハリー・ホソノ、ランディ・ニューマン、ジョン・フェイヒィ、ヴァン・ダイク・パークスと、当時の僕が好きだったものを全て入れた、ひとつの<お話>になっている。今でも変わらないけど、一枚のアルバムを作るという行為は、一作の映画を作ることと同じだと思う。芸術表現として、パッケージも含めトータルで<もの作り>を考えていた。『ジャンプ・フォー・ジョイ』は、そういう気持ちいっぱいで作ったアルバム。

このアルバムをひと言で言うと?

-「ここから21世紀がはじまった」という感もあるんだけど「ここまでか」という感もする。1960年代からのポップスの歴史は『ジャンプ・フォー・ジョイ』の時期までは、健全に歩めていたような気がする。その先の音楽産業は、斜めの気持ち、斜陽という時代へ突入する。エンターテイメントは細分化していって、インターネットの普及で音楽は無料化〜違法ダウンロードも出てくる。でも、音楽の歩みは止まらない。僕自身も、この後『アラバスター』(2004年)『花音』(2008年)『シレンシオ』(2010年)‥‥と積極的にアルバム作りを続けた。それを<凪の時代の音楽>なんて思っていた。でも<凪は、凪なりに面白いな>という、前向きな気持ちもあった。

<2019年2月 都内某所にて。>

〜『ジャンプ・フォー・ジョイ』制作時、影響を受けたアルバム〜

レオン・レッドボーン『オン・ザ・トラックス』(1975年)


ジェフ・マルダー『ワンダフル・タイム』(1976年)


ジョナサン・リッチマン『ロックンロール・ウイズ・ザ・モダン・ラヴァーズ』(1977年)


ヴァン・ダイク・パークス『ジャンプ』(1984年)

ブリッジ限定・特別企画 第一弾 <鈴木惣一朗・2019年 『カントリー・ガゼット』について語る>はこちら。

ブリッジ限定・特別企画 第二弾 <鈴木惣一朗・2019年 『マウンテン・バラッド』について語る>はこちら。

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